bahu-rûpa ivâbhâti
mâyayâ bahu-rûpayâ
ramamâno guneshv asyâ
mamâham iti manyate
9-2
マーヤーという幻力で 多様な姿 見せる主の
トリグナの質(物質の感覚) 愉しみて
「吾は吾なり」(アハンカーラ=自己保存)と人々は
マーマカーラ(吾のもの=所有欲)を募らせる
yarhi vâca mahimni sve
parasmin kâla-mâyayoh
rameta gata-sammohas
tyaktvodâste tadobhayam
9-3
なれど御主の偉大なる その本質に目覚めれば
〔時〕と〔マーヤー〕超越し 主の栄光に満たされん
さすれば己が心から 深き迷妄 消え失せて
〔吾〕(アハンカーラ)と〔吾のもの〕(マーマカーラ)を 打ち棄てる
九章 シュカは 主の本質を語り始める
âtma-tattva-vis'uddhy-artham
yad âha bhagavân ritam
brahmane dars'ayan rûpam
avyalîka-vratâdritah
9-4
根本原主クリシュナは
最初に生みしブラフマー(神)の 真摯な行為 喜ばれ
御主 御自身の本義なる 完璧な知や その意味を
そして御主の御姿を ブラフマー神に見せられり
この至上主の本質を ああ国王よ 今将に
吾はそなたに語ろうぞ
sa âdi-devo jagatâm paro guruh
svadhishnyam âsthâya sisrikshayaikshata
tâm nâdhyagacchad dris'am atra sammatâm
prapan'ca-nirmâna-vidhir yayâ bhavet
9-5
宇宙創始のブラフマー(神)は この世界での最年長
蓮の台に座したまい 宇宙創造なさんとて
気力のすべて傾注し 辺りを眺め 見渡せり
然るにここにあるもので 現象界の創生に
役立つものは何もなく 為す術も無き様なりき
sa cintayan dvy-aksharam ekadâmbhasy
upâs'rinod dvir-gaditam vaco vibhuh
spars'eshu yat shodas'am ekavims'am
nishkin'canânâm nripa yad dhanam viduh
9-6
困惑したるブラフマー神
尚も熟考したる時 蓮の浮かぶ水面から
二度に亘りて音声が 発せられしに気付きたり
そはスパルシャ(25の閉鎖音と鼻音の総称)の音節で
〔タ〕(16番目)と〔パ〕(21番目)の〔タパ〕(苦行)と聴き取れり
ああ国王よ これこそが 何も持たざる賢者らに
与えらるべき富なるぞ
104
九章 シュカは 主の本質を語り始める
nis'amya tad-vaktri-didriksayâ dis'o
vilokya tatrânyad apas'yamânah
svadhishnyam âsthâya vimris'ya tad-dhitam
tapasy upâdishtha ivâdadhe manah
9-7
それを聴きたるブラフマー神 その語り手を知らんとて
四方八方
見回せり
なれども己が周りには 誰一人とて見当たらず
ただ寂静があるばかり
己が生まれし蓮花に 座り直したブラフマー神
その発声を至上主の 〔苦行の指示〕と拝受して
厳しき行を誓いたり
divyam sahasrâbdam amogha-dars'ano
jitânilâtmâ vijitobhayendriyah
atapyata smâkhila-loka-tâpanam
tapas tapîyâms tapatâm samâhitah
9-8
気息を一に集中し 二つの器官(感覚器官と行為器官)制御した
悟性に卓るブラフマー
一千年の長期間 過酷な修行行じたり
苦行極めしブラフマー神 やがて宇宙を差配して
輝く界を創られり
tasmai sva-lokam bhagavân sabhâjitah
sandars'ayâm âsa param na yat-param
vyapeta-sankles'a-vimoha-sâdhvasam
sva-drishthavadbhir purushair abhishthutam
9-9
自己に打ち勝ち苦行する ブラフマー神を愛でられて
宇宙の御主クリシュナは
ご自身の住む最上の 界(ヴァイクンタ)をお見せになられたり
苦痛 迷妄 恐怖無く これより上の世界無く
真我を知りし人々が 御主を讃えて礼拝す 最高級の界なりき
105
九章 シュカは 主の本質を語り始める
pravartate yatra rajas tamas tayoh
sattvam ca mis'ram na ca kâla-vikramah
na yatra mâyâ kim utâpare harer
anuvratâ yatra surâsurârcitâh
9-10
ラジャス タマスの両グナが 混合したるサットヴァは
純といえどもその界に 存在するを許されぬ
しかのみならず〔マーヤー〕や 〔時〕の力も入りこめぬ
最高級のその界は まこと至純(オールサットヴァ)の極みなり
其処に住まいて聖ハリに 御仕え奉る帰依者らは
神々そして悪魔らが 崇め讃えるお方なり
s'yâmâvadâtâh s'ata-patra-locanâh
pis'anga-vastrâh surucah supes'asah
sarve catur-bâhava unmishan-mani-
praveka-nishkâbharanâh suvarcasah
9-11
御主に仕える帰依者らは
黒味おびたる澄みし肌 蓮華の如き眼にて
すべての者が主のごとく 優雅な四本の腕を持ち
光り輝く宝石が 鏤められし装身具
胸に飾りし金と銀 まこと眩き麗姿なり
pravâla-vaidûrya-mrinâla-varcasah
parisp hurat-kundala-mauli-mâlinah
9-12
彼らのうちのある者は
猫眼石(黄緑色)や 珊瑚(赤) 蓮の根(白)の
色鮮やかな耳飾り
花輪をつけた王冠を 身体に飾り装える
106
九章 シュカは 主の本質を語り始める
bhrâjishnubhir yah parito virâjate
lasad-vimânâvalibhir mahâtmanâm
vidyotamânah pramadottamâdyubhih
savidyud abhrâvalibhir yathâ nabhah
9-13
偉大な魂の帰依者らが
蒼天をゆくお車は 光彩放ち輝きて
恰もそれは天空を 煌めき亘る稲妻や
一際目立つ最高の 美女の光輝の様のごと
到る所を照らすなり
s'rîr yatra rûpiny urugâya-pâdayoh
karoti mânam bahudhâ vibhûtibhih
prenkham s'ritâ yâ kusumâkarânugair
vigîyamânâ priya-karma gâyatî
9-14
かの美しき園生では 椅子を揺らしつラクシュミーが
愛しき夫の御事績を 甘美に謳う傍らで
シュリー(ラクシュミー)と同じ姿持つ 幸せ運ぶ女神らが
主の御足を讃美して 様々な歌 謳いあげ
春の従者(蜜蜂)が飛び交いて 羽音を共にひびかせり
dadars'a tatrâkhila-sâtvatâm patim
s'riyah patim yajn'a-patim jagat-patim
sunanda-nanda-prabalârhanâdibhih
sva-pârshadâgraih parisevitam vibhum
9-15
ブラフマー神はその場所で サートヴァ族の長であり
シュリーの夫 供儀の主 そして宇宙の御主なる
クリシュナ神を拝したり
そして御主の傍らで スナンダ ナンダ プラバラや
アラナ等 清き従者らが 真心こめて敬虔に
仕える
様を見たるなり
107
九章 シュカは 主の本質を語り始める
bhritya-prasâdâbhimukham drig-âsavam
prasanna-hâsâruna-locanânanam
kirîthinam kundalinam catur-bhujam
pitâms'ukam vakshasi lakshitam s'riyâ
9-16
その帰依者らに至上主は 赤味がかりしお目許に
アムリタのごと愛をこめ 優しく微笑みかけられり
黄色の衣 纏われし 御主は四本の腕をもち
胸のシュリーの御徴(シュリーヴァッツア=金色の胸毛)や
耳飾りやら王冠が 眩き光り放ちたり
adhyarhanîyâsanam âsthitam param
vritam catuh-shodas'a-pan'ca-s'aktibhih
yuktam bhagaih svair itaratra câdhruvaih
sva eva dhâman ramamânam îs'varam
9-17
最高の場に座したもう 根本原主クリシュナは
六富
(君主権・美・名声・繁栄・智慧・離欲)のすべて
具えられ
四つのカラナ(意識・マハト・自我・知性)と
十六(五大元素・十のインドリア・マナス)と
五つの唯(タンマートラ=微細身)のシャクティを 己のうちに包みこみ
至上の幸(アーナンダ)に充ち足りて 永久の園生に愉しまる
tad-dars'anâhlâda-pariplutântaro
hrishyat-tanuh prema-bharâs'ru-locanah
nanâma pâdâmbujam asya vis'va-srig
yat pâramahamsyena pathâdhigamyate
9-18
主の御姿を拝したる 創造の神 ブラフマーは
その喜びに打ち震え 体毛すべて逆立ちて
内から溢る愛念に 涙 滂沱と流れ落つ
パラマハンサの道により 到達できる御足に
感極まりしブラフマーは 頂礼の拝 捧げたり
108
九章 シュカは 主の本質を語り始める
tam prîyamânam samupasthitam kavim
prajâ-visarge nija-s'âsanârhanam
babhâsha îshat-smita-s'ocishâ girâ
priyah priyam prîta-manâh kare spris'an
9-19
不滅の御主クリシュナに
〔生あるもの〕の創造を 命じられたるブラフマー神
深き喜悦に満たされて 主の御前に直立す
憐れみ深き至上主は そを心から喜ばれ
ブラフマー神の手をとりて
すこし微笑み輝やかに 斯くの如くに申されり
s'rî-bhagavân uvâca
tvayâham toshitah samyag
veda-garbha sisrikshayâ
ciram bhritena tapasâ
dustoshah kûta-yoginâm
9-20
『聖バガヴァーンは宣わく』
宇宙創造せんがため まこと久しき長き間を
ヴェーダの知識 踏襲し 厳しき苦行 続けたる
そなたによりてこの吾は 真に満足覚えたり
似非ヨーギー(偽行者)の程度では 吾を充足させ得なし
varam varaya bhadram te
vares'am mâbhivân'chitam
brahman' chreyah-paris'râmah
pumsâm mad-dars'anâvadhih
9-21
おおブラフマーよ 苦行者よ 絶対者なるこの吾は
至高の幸を切望す そなたの願い叶えたり
厳しき行の果報とは 吾(至上主)の姿を見ることと
そなたは篤と知るゆえに
109
九章 シュカは 主の本質を語り始める
manîshitânubhâvo 'yam
mama lokâvalokanam
yad upas'rutya rahasi
cakartha paramam tapah
9-22
蓮の浮かぶ水面から 吾が発せし二言の
タパス望みし音節を 聴きたる御身は唯一人
最も難き難行を 見事に成就したるなり
ゆえにそなたは功徳にて 吾の世界の様相を
瞥見(一瞥すること)の栄 得たるなり
pratyâdishtham mayâ tatra
tvayi karma-vimohite
tapo me hridayam sâkshâd
âtmâham tapaso 'nagha
9-23
無垢なる者よ ブラフマーよ
為すべきこと(宇宙創造の手立て)が見つからず
困惑したるその時に
吾がそなたに命じたる 苦行を極む行為こそ
深き帷(マーヤー)に包まれし
吾が胸奥の秘宝なり
その胸奥の秘宝こそ 吾の本質であるゆえに
srijâmi tapasaivedam
grasâmi tapasâ punah
bibharmi tapasâ vis'vam
vîryam me dus'caram tapah
9-24
ゆえに宇宙の一切は 苦行によりて創始され
苦行によりてそを維持し 苦行によりて破壊さる
斯くのごとくに吾の力 苦行の内に秘匿さる
110
九章 シュカは 主の本質を語り始める
brahmovâca
bhagavân sarva-bhûtânâm
adhyaksho 'vasthito guhâm
veda hy apratiruddhena
prajn'ânena cikîrshitam
9-25
ブラフマー神は申されり 「すべてのものの内奥に
照覧者とて鎮座され すべてに充ちる至上主よ
妨げられることのなき 類い稀なる叡智にて
御主は吾が今 将に 何を願いて侍るかを
すべて御承知なさるなり
tathâpi nâthamânasya
nâtha nâthaya nâthitam
parâvare yathâ rûpe
jânîyâm te tv arûpinah
9-26
無形であるに拘わらず すべての上に君臨し
超絶的な至上主の その本質を知りたしと
吾はひたすら願うなり
何卒御主の恩寵で 智見の栄を賜れと
伏して懇願たてまつる
yathâtma-mâyâ-yogena
nânâ-s'akty-upabrimhitam
vilumpan visrijan grihnan
bibhrad âtmânam âtmanâ
9-27
御自らの強力な マーヤーにより至上主は
多様な界を創られり そしてそれらを維持なされ
御自らの御力で やがて破壊をされる方
111
九章 シュカは 主の本質を語り始める
krîdasy amogha-sankalpa
ûrnanâbhir yathornute
tathâ tad-vishayâm dhehi
manîshâm mayi mâdhava
9-28
無謬(絶対に間違いない)の御意思 持たる主よ
絡まる蜘蛛の糸のごと マーヤー用い楽しまる
その理(理由)の詳細を 理解し易くこの吾に
ああマーダヴァ(クリシュナ)よ 説き給え
bhagavac-chikshitam aham
karavâni hy atandritah
nehamânah prajâ-sargam
badhyeyam yad-anugrahât
9-29
おお至上主よ 願わくば 吾に恩寵 垂れたまえ
主に課されたる創造を 驕ることなく達成し
その香菓(結果)得んの欲望を 持たざる吾に成らしめよ
yâvat sakhâ sakhyur ives'a te kritah
prajâ-visarge vibhajâmi bho janam
aviklavas te parikarmani sthito
mâ me samunnaddha-mado 'ja mâninah
9-30
おお至上主よ 御身様は 恰も友が親友に
為すべく如くこの吾に 親しく言葉かけたもう
ああ不生なる御方よ 生き物たちの創造や
神の職掌分かつなど 主への奉仕の様々が
成就を遂げるその日まで
ああ願わくばこの吾が 過剰な自負を持たぬよう
迷妄の瀬に堕ちぬよう 深き恩寵 賜えかし」
112
九章 シュカは 主の本質を語り始める
s'rî-bhagavân uvâca
jn'ânam parama-guhyam me
yad vijn'âna-samanvitam
sarahasyam tad-angam ca
grihâna gaditam mayâ
9-31
『聖クリシュナは宣わく』
吾の有する最高の 秘奥(物事の奥底)の秘なる深き知を
将に(直ちに)そなたに与えなん
奥義の叡智 その要素 帰依や苦行のそのすべて
吾が教える事々を しかと体得するべけれ
yâvân aham yathâ-bhâvo
yad-rûpa-guna-karmakah
tathaiva tattva-vijn'ânam
astu te mad-anugrahât
9-32
吾の本質の偉大さや 姿や美徳 その行為
そなたは吾の恩寵で これらすべての実態の
深き叡智が与えらる 心にしかと銘記せよ
aham evâsam evâgre
nânyad yat sad-asat param
pas'câd aham yad etac ca
yo 'vas'ishyeta so 'smy aham
9-33
原初の吾は唯一の 常在不変の存在者
具象化されしものも無く 唯一 吾が在りしのみ
宇宙が創造されし後も 吾は存在を成し続け
宇宙滅亡したる後も 唯 一人のみ残存す
113
九章 シュカは 主の本質を語り始める
rite 'rtham yat pratîyeta
na pratîyeta câtmani
tad vidyâd âtmano mâyâm
yathâbhâso yathâ tamah
9-34
主の本質の光耀が 恰も闇に閉ざされて
価値なきものに見ゆるごと
主の実態を被覆する それらすべては至上主の
マーヤーなりと見なすべし
yathâ mahânti bhûtâni
bhûteshûccâvaceshv anu
pravishthâny apravishthâni
tathâ teshu na teshv aham
9-35
吾はマーヤーを多用して 生きとし生ける生物を
創りしのちにそのなかに 〔入りて住まう〕と言いしなり
しかるに吾の本質は 〔外に遍在する〕という
斯くの如くにこの吾は 内に〔入る〕とも〔入らず〕とも
その両方を言いしなり
etâvad eva jijn'âsyam
tattva jijn'âsunâtmanah
anvaya-vyatirekâbhyâm
yat syât sarvatra sarvadâ
9-36
斯くの如くに多様なる 吾の秘めたる本質を
知らんと願う者ならば 〔此れに非ず〕と全否定
〔全てが此れ〕と是認する 二律背反する道を
常に探究すべきなり
114
九章 シュカは 主の本質を語り始める
etan matam samâtishthha
paramena samâdhinâ
bhavân kalpa-vikalpeshu
na vimuhyati karhicit
9-37
そなたが此度 学びたる
吾の教えは永久に
変わる事なき真理なり この最高の理に
心を一に集中し 深く専念したるなば
カルパ カルパの創造に 決して惑うことはなし
s'rî-s'uka uvâca
sampradis'yaivam ajano
janânâm parameshthhinam
pas'yatas tasya tad rûpam
âtmano nyarunad dharih
9-38
【栄えあるシュカは語られり】
不生の御主 聖ハリは 被造の主なるブラフマー(神)に
斯くのごとくに宣うと
彼(ブラフマー神)が見詰めるそのなかを 静かに姿 消されたり
anta rhitendriyârthâya
haraye vihitân'jalih
sarva-bhûtamayo vis'vam
sasarjedam sa pûrvavat
9-39
具象の御姿 消されたる 聖なる御主クリシュナに
宇宙創造託されし ブラフマー神は敬虔に
頭を下げて合掌し 前のカルパのそのままに
生きとし生けるものたちを 再び創造なされたり
115
九章 シュカは 主の本質を語り始める
prajâpatir dharma-patir
ekadâ niyamân yamân
bhadram prajânâm anvicchann
âtishthhat svârtha-kâmyayâ
9-40
創造の主 ダルマの主 ブラフマー神は然る時
己が創りし生物の 幸運望む 思い出づ
これこそ吾の〔目的〕と 願いの成就得るために
戒律厳しく遵守して 自己の修行に励まれり
tam nâradah priyatamo
rikthâdânâm anuvratah
s'us'rûshamânah s'îlena
pras'rayena damena ca
9-41
斯くのごとくに父親が 厳しき修行なせる時
息ナーラダは従順に 真摯に忠誠 尽くしたり
その善行にブラフマー神 数多の息子達のうち
ナーラダ仙を最高の 深き愛にて導かる
mâyâm vividishan vishnor
mâyes'asya mahâ-munih
mahâ-bhâgavato râjan
pitaram paryatoshayat
9-42
ああ国王よ ブラフマー(神)は わが息子なるナーラダが
まこと偉大な聖ハリに 深く帰依して真剣に
マーヤーの主 至上主の そのマーヤーを知りたしと
希求したるを父とての 深き喜び覚えらる
116
九章 シュカは 主の本質を語り始める
tushtham nis'âmya pitaram
lokânâm prapitâmaham
devarshih paripapraccha
bhavân yan mânupricchati
9-43
宇宙全ての始祖であり 己が父なるブラフマー(神)が
満足したる様を見て 天の神仙ナーラダは
今 御身様(パリークシット国王)がこの吾に 訊ねしごとく慇懃に
ブラフマー神に 問い掛けり
tasmâ idam bhâgavatam
purânam das'a-lakshanam
proktam bhagavatâ prâha
prîtah putrâya bhûta-krit
9-44
息子の質問を喜びて 造物の主ブラフマー神
至上の主から教えらる 十の吉兆持つという
〔聖クリシュナの神譚〕を 息ナーラダに伝えらる
nâradah prâha munaye
sarasvatyâs tathe nripa
dhyâyate brahma paramam
vyâsâyâmita-tejase
9-45
ああ国王よ ナーラダは 父に聴きたる〔神譚〕を
サラスワティーの河岸で 一人静かに瞑想し
ブラフマンへと至りたる 聖ヴィヤーサに伝承す
117
九章 シュカは 主の本質を語り始める
yad utâham tvayâ prishtho
vairâjât purushâd idam
yathâsit tad upâkhyâste
pras'nân anyâms ca kritsnas'ah
9-46
そして此度はこの吾が そなたが質問せしままに
主の世界より如何様に
ヴィラート プルシャ(宇宙体)が生まれしか
父(ヴィヤーサ)より継ぎし〔神譚〕を
具に説きて聴かすらん