十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


第十一章【ドワーラカーでのクリシュナ神】



sûta uvâca
ânartân sa upavrajya
svriddhân' jana-padân svakân
dadhmau daravaram teshâm
vishâdam s'amayann iva
11-1





≪聖仙スータ語られる≫
繁栄はんえいしたる我が領土りょうど アーナルターにかれると
主はご自身の法螺貝ほらがいを おと高々と吹かれたり
長きにわたるご不在(主の)に 鬱々うつうつとせし国民くにたみ
うれ一挙いっきょに吹き飛ばす 招福しょうふくひびきたり



sa uccakâs'e dhavalodaro daro
'py urukramasyâdharas'ona-s'onimâ
dâdhmâyamânah kara-kan'ja-sampute
yathâbja-khande kala-hamsa utsvanah
11-2




蓮華れんげ御掌みてに握られて 白く輝く法螺貝ほらがい
主の紅唇こうしんで吹かれると 高く大きく鳴り響く
あたかもそれは白鳥はくちょうが 水に咲きたる紅蓮べにばす
たわむれに首れて 遊ぶさまにも似たるかな



tam upas'rutya ninadam
jagad-bhaya-bhayâvaham
pratyudyayuh prajâh sarvâ
bhartri-dars'ana-lâlasâh
11-3




死神ヤマが畏敬いけいする その法螺貝のを聞きて
すべての人は待ち兼ねし 主の御帰還ごきかん察知さっちせり
愛する御主みすかんばせを 一目見なんと渇望かつぼう
急ぎ外へと走りだす







134

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


tatropanîta-balayo
raver dîpam ivâdritâh
âtmârâmam pûrna-kâmam
nija-lâbhena nityadâ

prîty-utphulla-mukhâh procur
harsha-gadgadayâ girâ
pitaram sarva-suhridam
avitarâm ivârbhakâh
11-4・5









自己じこうちにて喜ばれ 自己で満ちる至上主に
人々は皆それぞれに 持ち来た供物くもつ 捧げたり
あたかもそれは太陽に 灯火とうか捧げる如きもの
主を愛慕あいぼする国民くにたみは 喜びに顔輝かせ
まるで幼き子供らが 父や友らに語るごと
きこみ声をまらせて 斯くの如くに話したり





natâh sma te nâtha sadânghri-pankajam
virin'ca-vairin'cya-surendra-vanditam
parâyanam kshemam ihecchatâm param
na yatra kâlah prabhavet parah prabhuh
11-6




「ああ至上主よ クリシュナよ
吾らは常に御足おみあしを けいしてつかたてまつ
主はヴィリンチ(ブラフマー神)やその息子(シヴァ神)
神々の王インドラが 伏してあがめるお方なり
さらに御主おんしゅは〔時制じせい〕なき 根原神であらせらる
この世の幸を切望す 国民くにたみにとり最高の
安息あんそくの地にほかならず













135

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


bhavâya nas tvam bhava vis'va-bhâvana
tvam eva mâtâtha suhrit-patih pitâ
tvam sad-gurur nah paramam ca daivatam
yasyânuvrittyâ kritino babhûvima
11-7




ああ万物の起原なる 主は我々の繁栄を
生起せいきせしむるお方なり 主こそは母と父であり
最もさとき友にして しんに正しき尊師そんしなり
そして吾らの輝ける 最高神であらせらる
ゆえに吾らは御身様おみさまの はす御足みあし追随ついずい
繁栄とさち戴きぬ




aho sanâthâ bhavatâ sma yad vayam
traivishthapânâm api dûra-dars'anam
prema-smita-snigdha-nirîkshanânanam
pas'yema rûpam tava sarva-saubhagam
11-8




ああ主によりて保護される 吾らはなんと幸せぞ
優しき笑みを浮かべらる 主のかんばせやお姿を
常にまみえるこの至福
天上界の神々も 常にはいすは叶わぬを..




yarhy ambujâkshâpasasâra bho bhavân
kurûn madhûn vâtha suhrid-didrikshayâ
tatrâbda-kothi-pratimah kshano bhaved
ravim vinâkshnor iva nas tavâcyuta
11-9




蓮華のまなこ持ちし主よ 友や親族うからに逢わんとて
クルやマドゥの都へと 出掛けられたるそのあいだ
アチュタ(クリシュナ)見られぬ国民くにたみ
百億年もさぬ 闇の谷間に落ちしごと








136

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


katham vayam nâtha ciroshite tvayi
prasanna-drishthayâkhila-tâpa-s'oshanam
jîvema te sundara-hâsa-s'obhitam
apas'yamânâ vadanam manoharam

iti codîritâ vâcah
prajânâm bhakta-vatsalah
s'rinvâno 'nugraham drishthayâ
vitanvan prâvis'at puram
11-10










おお支配者よ我々は
すべての苦痛除かれる 主のうるわしきかんばせ
はいすればこそ生きられる
長逗留ながとうりゅうの留守のの 主の御姿みすがたを見ぬ日々を
  如何に吾らは過ごさんや」
斯くの如くに人々の 話す言葉を聞かれたる
バクタ(帰依者)愛するクリシュナは
慈悲深き目で見やりつつ 都城とじょうのなかへはいられり




madhu-bhoja-das'ârhârha-
kukurândhaka-vrishnibhih
âtma-tulya-balair guptâm
nâgair bhogavatîm iva
11-11




ボーガワティーの城郭じょうかく
ナーガ(蛇族)によりて護るごと
ドワーラカーの王城おうじょうは 拮抗きっこうしたる力持つ
ヤーダヴァ族の末裔まつえい
マドゥにボージャ ダシャーラや
ククラ アンダカ ヴリシュニと
アラ族などの諸部族しょぶぞくで 強き守りが固めらる











137

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


sarvartu-sarva-vibhava-
punya-vriksha-latâs'ramaih
udyânopavanârâmair
vrita-padmâkara-s'riyam
11-12




繁栄したるみやこには
巡る季節の度毎たびごとに たわわに実る果樹園や
芳香放ほうこうはなつ花々で 喜び与う花園や
神聖な木や蔓草つるくさが しげりたる苦行林くぎょうりん(庵)
それらのものに囲まれし
蓮華の花が咲きほこる 美しき池 数多あまたあり




gopura-dvâra-mârgeshu
krita-kautuka-toranâm
citra-dhvaja-patâkâgrair
antah pratihatâ-tapâm
11-13




都城とじょうの門や各戸口かくとぐち 道路 塔門とうもん 凱旋門がいせんもん
祝いのために作られし 色鮮いろあざやかな指物さしもの
到る所に飾られり
風に はためく布端ぬのはしで 太陽のかげるほど




sammârjita-mahâ-mârga-
rathyâpanaka-catvarâm
siktâm gandha-jalair uptâm
phala-pushpâkshatânkuraih
11-14




主要道路や各街路かくがいろ そして市場いちば十字路じゅうじろ
洗い清めてみがき上げ 芳香の立つ水を
木の実や花やもみ ふたば1. あたり一面蒔かれたり

1. 嫩… 名香の一伽羅(きゃら)又は双葉若芽。








138

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


dvâri dvâri grihânâm ca
dadhy-akshata-phalekshubhih
alankritâm pûrna-kumbhair
balibhir dhûpa-dîpakaih
11-15




町の家々戸口には カード(ヨーグルト)や籾や木の実らと
砂糖キビなど御供物ごくもつや 水をたたえる水甕みずがめ
所狭ところせましと飾られて ほのかにかお香料こうりょう
かすかにらぐ灯火ともしびで 主のご帰還を祝いたり



nis'amya preshthham âyântam
vasudevo mahâ-manâh
akrûras' cograsenas' ca
râmas' câdbhuta-vikramah

pradyumnas' cârudeshnas' ca
sâmbo jâmbavatî-sutah
praharsha-vegocchas'ita-
s'ayanâsana-bhojanâh
11-16・17











雅量がりょうに富めるヴァスデーヴァ(クリシュナの父)
ウグラセーナ(クリシュナの母方の大叔父)やアクルーラ(叔父)
勇猛ゆうもう果敢かかんバララーマ(クリシュナの兄)
チャールデーシュナ プラドュムナ(ルクミニーの息子)
ジャーンバワティー息子(サーンバ)らが
クリシュナ帰還のほう聞くや おどり上がりて喜ぶと
食事の席を放棄ほうきして 主を迎えんと急ぎ立つ



vâranendram puraskritya
brâhmanaih sasumangalaih
s'ankha-tûrya-ninâdena
brahma-ghoshena câdritâh
pratyujjagmû rathair hrishthâh
pranayâgata-sâdhvasâh
11-18






彼らは胸をときめかせ 愛の想いに満たされて
吉兆きっちょうの象先頭せんとうに 法螺貝ほらがい ラッパ吹き鳴らし
ヴェーダ聖語を朗誦ろうしょうし 主の栄えを讃美さんびする
ブラーフマナをともないて
二輪戦車に飛び乗るや 主の御許みもとへと急ぎたり


139

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


vâramukhyâs' ca s'atas'o
yânais tad-dars'anotsukâh
lasat-kundala-nirbhâta-
kapola-vadana-s'riyah
11-19




何百人もの娼婦しょうふらが きらめく耳輪るがせて
美しき頬 上気じょうきさせ
主にまみえんと切望し 馬車を仕立したてて急ぎたり



natha-nartaka-gandharvâh
sûta-mâgadha-vandinah
gâyanti cottamashloka-
caritâny adbhutâni ca
11-20




俳優や歌手 踊り子や 吟遊詩人ぎんゆうしじん(や)詠唱者えいしょうしゃ
皆それぞれにクリシュナの 稀有けうなる御業みわざ 讃えたり



bhagavâms tatra bandhûnâm
paurânâm anuvartinâm
yathâ-vidhy upasangamya
sarveshâm mânam âdadhe
11-21




聖なる御主おんしゅクリシュナは
そこに集まる親族しんぞくや 友や縁者や市民らの
規矩きく(規則)に従い主を迎う その有様ありさまを喜ばれ
彼らが捧ぐ諸々もろもろの 敬意や礼を受け取らる


Prahvâbhivâdanâs'lesha-
kara-spars'a-smitekshanaih
âs'vâsya câs'vapâkebhyo
varais' câbhimatair vibhuh
11-22




慈愛あふれるクリシュナは
最下層の者にまで 頭を下げて言葉かけ
近くに寄りて手を握り 微笑ほほえみながら見つめらる
彼らも御主みす丁重ていちょうに 言葉返して礼を述べ
のりそくして挨拶す 御主みすはそれらをとされて
願いどおりの恩寵を 授けて彼ら励まさる


140

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


svayam ca gurubhir vipraih
sadâraih sthavirair api
âs'îrbhir yujyamâno 'nyair
vandibhis' câvis'at puram
11-23




聖クリシュナはしかるのち 年長の者 バラモンや
同伴どうはんしたるその妻と 長老者らの祝福や
詠唱者らに讃美され
敬意受けるに相応ふさわしき 主は都へとはいられり




râja-mârgam gate krishne
dvârakâyâh kula-striyah
harmyâny âruruhur vipra
tad-îkshana-mahotsavâh
11-24




おおシャウナカよ
塔門とうもんくぐりドワーラカーの 大道だいどうくクリシュナを
門閥もんばつのよき婦人らも 一目ひとめなりともまみえんと
やかたの屋根(バルコニー)け上がり 恍惚こうこつとして見つめたり




nityam nirîkshamânânâm
yad api dvârakaukasâm
na vitripyanti hi dris'ah
s'riyo dhâmângam acyutam
11-25




ドワーラカーに住む人々は 常に御主おんしゅゆれども
美と威厳いげんとに満ちあふる 超越的ちょうえつてきなお体は
不滅を示すあかししゆえ 見飽みあきる事はなかりけり













141

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


S'riyo nivâso yasyorah
pâna-pâtram mukham dris'âm
bâhavo loka-pâlânâm
sârangânâm padâmbujam
11-26




アチュタ(クリシュナ)の胸は ラクシュミー(幸運の女神)
永久とわに安らぐ住処すみかなり
主のかんばせは見る者に
下賜かしされたるはい(アムリタの、〔恩寵〕)のごと
たくましき主の御腕みかいなは 守護の神霊宿やどとこ
蓮華の花で眠りたる 聖白鳥せいはくちょう(ハムサ)さまに似て
はす御足みあしは帰依者らが 讃えていこ避難場所ひなんばしょ



sitâtapatra-vyajanair upaskritah
prasûna-varshair abhivarshitah pathi
pis'anga-vâsâ vana-mâlayâ babhau
ghano yathârkodupa-câpa-vaidyutaih
11-27




金色こんじきをまとわれて ヴァナマーラーの花環はなわ掛け
白き日傘ひがさをかざす者 払子ほっすで虫をはらう者
数多あまたともを従えて 花の嵐に迎えられ
都の道を進まれる 雲の色した肌のしゅ
つき 天弓てんきゅう(虹) 雷光らいこうで 瑞雲ずいうんのごと輝かる



pravishthas tu griham pitroh
parishvaktah sva-mâtribhih
vavande s'irasâ sapta
devakî-pramukhâ mudâ
11-28




主は真っ先に両親の 宮殿きゅうでんの門くぐられて
デーヴァキーなど七人(ヴァスデーヴァの妃)の 
母に深々お辞儀じぎさる
先頭に立つ生みの母(デーヴァキー) 歓喜のあまり抱擁ほうよう
続いてほかの母達も 主を抱きしめて喜びぬ




142

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


tâh putram ankam âropya
sneha-snuta-payodharâh
harsha-vihvalitâtmânah
sishicur netrajair jalaih
11-29




息子を胸に抱きしめて 愛にあふれし母達は
その魂をふるわせる 深き喜悦に感動し
母の胸からほとばしる ちちの如くにあふれ出る
熱き涙で至上主を しとどにらし給いけり



athâvis'at sva-bhavanam
sarva-kâmam anuttamam
prâsâdâ yatra patnînâm
sahasrâni ca shodas'a
11-30




そののち御主みすはご自身の 宮殿内にはいられり
全ての望み(降誕の目的)成就じょうじゅさる 至上のあるじクリシュナに
幾千人の女性らと 十六人の正妻せいさいが 奉仕捧げる住まいなり



patnyah patim proshya grihânupâgatam
vilokya san'jâta-mano-mahotsavâh
uttasthur ârât sahasâsanâs'ayât
sâkam vratair vrîdita-locanânanâh
11-31




聖クリシュナの妻達は 長き旅から帰られし
しゅ御姿みすがたを目にするや 強き歓喜にたされて
ただちに席を立ち上がり じらいの色見せながら
妻の定めに従いて やかたでて出迎えり



tam âtmajair drishthibhir antarâtmanâ
duranta-bhâvâh parirebhire patim
niruddham apy âsravad ambu netrayor
vilajjatînâm bhrigu-varya vaiklavât
11-32




ああシャウナカよ妻達は つつしみぶかきおみなゆえ
息子をしかと抱きしめて 想いをこめしで見つめ
無終むしゅうの愛をつまに 涙見せじとつとめしが
溢れる涙 とどず じらいながら眼をおさ

143

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


yadyapy asau pârs'va-gato raho-gatas
tathâpi tasyânghri-yugam navam navam
pade pade kâ virameta tat-padâc
calâpi yac chrîr na jahâti karhicit
11-33




聖クリシュナはしかのち 辺境へんきょうの地に閑居かんきょさる
住居ずまいにもかかわらず 妻ら残らず追随ついずい
御主みすの魅力は新鮮で いとしきつま御許みもとから
如何なることがあろうとも 離れることが出来ようぞ
うつろいやすきシュリー(ラクシュミー)さえ 一時ひとときたりと離れ
その御足おみあしを忘れ去る おみなようはずはなし



evam nripânâm kshiti-bhâra janmanâm
akshauhinîbhih parivritta-tejasâm
vidhâya vairam s'vasano yathânalam
mitho vadhenoparato nirâyudhah
11-34




破壊はかいにんを与えられ 生誕せいたんしたる王たちの
周囲しゅうい威風いふう放ちたる 勇猛ゆうもう ほこ軍勢ぐんぜい
風が炎をあおるごと 敵愾心てきがいしんを燃え立たせ
互いに殺し殺されて すべてを殲滅せんめつなされたり
斯くの如くにクリシュナは
化身けしん目途もくと 果さるや 閑居かんきょなされてひそかなり



sa esha nara-loke 'sminn
avatîrnah sva-mâyayâ
reme strî-ratna-kûtastho
bhagavân prâkrito yathâ
11-35




主はご自身のマーヤーで 物質界に降誕し
まるで世俗の者のごと
魅力的なる妻たちに かこまれて日々すごされり









144

十一章 ドワーラカーでのクリシュナ神


uddâma-bhâva-pis'unâmala-valgu-hâsa-
vridâvaloka-nihato madano 'pi yâsâm
sammuhya câpam ajahât pramadottamâs tâ
yasyendriyam vimathitum kuhakair na s'ekuh
11-36




愛に満ちたる妻たちの 澄みし魅力の微笑ほほえみや
じらい見せる有様ありさま
“愛の神”さえ魅惑され 思わず弓を落とすほど
なれど華麗かれいなそのでも 主の感官かんかんまどわせず


tam ayam manyate loko
hy asangam api sanginam
âtmaupamyena manujam
vyâprinvânam yato 'budhah
11-37




おろかなるゆえ人々は 下賤げせんの如く活発に
多忙な日々を過ごされる クリシュナ神を憶測おくそく
無執着むしゅうちゃくなるしゅであるに 世俗的なる者と見る


etad îs'anam îs'asya
prakriti-stho 'pi tad-gunaih
na yujyate sadâtma-sthair
yathâ buddhis tad-âs'rayâ
11-38




心が常に神に在り 主をどことする者は
宇宙の神が支配する プラクリティ(物質界)ろうとも
三グナによる束縛そくばくを 受けることなどなし


tam menire 'balâ mûdhâh
strainam cânuvratam rahah
apramâna-vido bhartur
îs'varam matayo yathâ
11-39




無知で無力な妻たちは 隠遁いんとんしたるわがつま
原初のしゅとは露知つゆしらず <女性に甘きおっとよ>と
長閑のどかに暮らしたるなり



第十一章 終了



145