一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
第九章【ビーシュマの帰融きゆう
9-1
sûta uvâca
iti bhîtah prajâ-drohât
sarva-dharma-vivitsayâ
tato vinas'anam prâgâd
yatra deva-vrato 'patat
≪聖仙スータ語られる≫
呵責かしゃくねんに苦しみぬ ユディシュティラ大王は
国をおさむる王として 正義ののりは何なるや
戦いのあと 生々なまなまし クルクシェートラ戦場で
矢衾やぶすま(射かけられた矢で出来たしとね)に伏すビーシュマ(義祖父)
教えわんと出立しゅったつ
9-2
tadâ te bhrâtarah sarve
sadas'vaih svarna-bhûshitaih
anvagacchan rathair viprâ
vyâsa-dhaumyâdayas tathâ
それにならいて兄弟も きんで見事に飾られし
駿馬しゅんめける戦車にて 兄のあとにと続きたり
さらに聖仙ヴィヤーサや ダウミヤはじめバラモンが
王に従い進みたり
9-3
bhagavân api viprarshe
rathena sa-dhanan'jayah
sa tair vyarocata nripah
kuvera iva guhyakaih
おおシャウナカよ 聞きたまえ
クリシュナもまたアルジュナの 黄金こがねの馬車に乗り込まる
彼らとともに進み行く ユディシュティラ大王の
英姿えいし 眩く輝きて
さながら天のクベーラ(富の神)が 家来けらい従え進むごと
106

一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-4
drishthvâ nipatitam bhûmau
divas' cyutam ivâmaram
pranemuh pândavâ bhîshmam
sânugâh saha cakrinâ
パーンドゥ王の息子らに 同伴どうはんされしクリシュナが
天からちし神のごと 横たわりたるビーシュマに
深く一礼なされたり
9-5
tatra brahmarshayah sarve
devarshayas' ca sattama
râjarshayas' ca tatrâsan
drashthum bharata-pungavam
リシらひきいるシャウナカよ
バラタの勇者ビーシュマを 一目見なんと大勢の
神仙しんせん 梵仙ぼんせん 王仙おうせんら 数多あまた聖仙せいせん つどいたり
9-6・7
parvato nârado dhaumyo bhagavân bâdarâyanah
brihadas'vo bharadvâjah
sas'ishyo renukâ-sutah

vasishthha indrapramadas
trito gritsamado 'sitah
kakshîvân gautamo 'tris' ca
kaus'iko 'tha sudars'anah
パルヴァタ ナーラダ ダウミヤら 神の化身のヴィヤーサ仙
バラドワージャ ブリハダシュワ 弟子でし 伴ないしパラシュラーマ
インドラプラマダ ヴァシシュタや グリッツアマダ カウシカや
カクシーヴァーン ガウタマや アトリ トリタや スダルシャナ
アシタ仙など数多あまたなり
107

一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-8
anye ca munayo brahman
brahmarâtâdayo 'malâh
s'ishyair upetâ âjagmuh
kas'yapângirasâdayah
おお シャウナカよ
ブラフマラータ(シュカ) カシュヤパや
アーンギラサや諸聖仙
それぞれ弟子を引き連れて 無垢むくなる人ら到着す
9-9
tân sametân mahâ-bhâgân
upalabhya vasûttamah
pûjayâm âsa dharma-jn'o
des'a-kâla-vibhâgavit
偉大なたましい次々つぎつぎと つどたるに気付きづきたる
ヴァス神群しんぐん至高者しこうしゃで ダルマよく知るビーシュマは
〔時〕と〔場所〕とにふさわしき 崇敬すうけい捧げ迎えらる
9-10
krishnam ca tat-prabhâva-jn'a
âsînam jagad-îs'varam
hridi-stham pûjayâm âsa
mâyayopâtta-vigraham
つねに胸裡きょうりりたまい けいしてしたう宇宙のしゅ
マーヤーもちい 人として 姿とられし至上主が
眼前がんぜんしたもう
聖クリシュナの栄光えいこうに 精通せいつうしたるビーシュマは
感極かんきわまりて礼拝す
108

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9-11
pându-putrân upâsînân
pras'raya-prema-sangatân
abhyâcashthânurâgâs'rair
andhîbhûtena cakshushâ
親しさをこめ慇懃いんぎんに したるパーンドゥ兄弟を
間近まぢかに見たるビーシュマは
愛しき思い込みあげて 愛の涙にれしまま
次のごとくに語りたり
9-12
aho kashtham aho 'nyâyyam
yad yûyam dharma-nandanâh
jîvitum nârhatha klishtham
vipra-dharmâcyutâs'rayâh
「ああ 悲惨ひさんなるこの事態じたい おお なんという非合法ひごうほう
バラモン ダルマ クリシュナを
つねにあがめて頼りたる そなたパーンドゥ兄弟は
かくも苦難の人生を 歩むべきではなきものを!
9-13
samsthite 'tirathe pândau
prithâ bâla-prajâ vadhûh
yushmat-krite bahûn kles'ân
prâptâ tokavatî muhuh
偉大な覇王はおう1.パーンドゥが いき 引取りしそののち
が義理の(パーンドゥの妻)のクンティーが
子を持つ寡婦かふせられる あらゆる苦難 心痛を
幼きそちら兄弟を 育てる為に耐えしなり 
1. 覇王 武力で諸侯を従えて、天下を治める人。
109

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9-14
sarvam kâla-kritam manye
bhavatâm ca yad-apriyam
sapâlo yad-vas'e loko
vâyor iva ghanâvalih
が思うにはそなたの この痛ましき体験の
全ては〔時〕のせるわざ
風の意のまま流されて そむすべなき雲のごと
主がともないし〔とき〕により すべての界は支配さる
9-15
yatra dharma-suto râjâ
gadâ-pânir vrikodarah
krishno 'strî gândivam câpam
suhrit krishnas tato vipat
ダルマのそくたたえらる ユディシュティラを王に持ち
棍棒こんぼうをもつビーマあり
弓の名手めいしゅのアルジュナが ガーンディーヴァをたずさえる
そして至上主クリシュナが 盟友めいゆうとして五王子を
こよなく愛しささえらる
ああそれなるにこの苦境くきょう 〔時〕の仕業しわざに相違なし
9-16
na hy asya karhicid râjan
pumân veda vidhitsitam
yad vijijn'âsayâ yuktâ
muhyanti kavayo 'pi hi
ユディシュティラ大王よ
この至上主の思惑おもわくを 人は知ることかなわざり
賢人けんじん 聖者せいじゃ 予言者よげんしゃが いかに探究たんきゅうしようとも
途方とほうにくれるばかりなり
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9-17
tasmâd idam daiva-tantram
vyavasya bharatarshabha
tasyânuvihito 'nâthâ
nâtha pâhi prajâh prabho
ゆえにバラタの長老(ユディシュティラ)
今まで起きし事柄は 神の御意志ごいしに他ならず
おお!それゆえに大王よ バラタの国の支配者よ!
そなたはそれに従いて 無力な民を護るべく
与えられたる天命を 果すべきではなからんや
9-18
esha vai bhagavân sâkshâd
âdyo nârâyanah pumân
mohayan mâyayâ lokam
gûdhas' carati vrishnishu
クリシュナこそは始原しげんの主 ナーラーヤナであらせらる
マーヤーシャクティ駆使くしなされ 世俗せぞくの人ら幻惑げんわく
ヴリシュニ朝の一員に 降誕こうたんされてひそやかに
神の御業みわざを為さるなり
9-19
asyânubhâvam bhagavân
veda guhyatamam s'ivah
devarshir nâradah sâkshâd
bhagavân kapilo nripa
ユディシュティラ大王よ
聖クリシュナの秘められし 崇高すうこうきわむご威徳いとく
シヴァとナーラダ しゅカピラ この三神が理解する
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-20
yam manyase mâtuleyam
priyam mitram suhrittamam
akaroh sacivam dûtam
sauhridâd atha sârathim
そなたは至尊しそんクリシュナを 従兄弟いとこ 親友しんゆう 同盟者どうめいしゃ
相談相手と甘えきり はたまた使者や馭者ぎょしゃまでも
親密しんみつなるをよきことに 安易あんいに軽く依頼せり
9-21
sarvâtmanah sama-dris'o
hy advayasyânahankriteh
tat-kritam mati vaishamyam
niravadyasya na kvacit
全ての親の至上主は 無私公平むしこうへいなお方なり
唯一者ゆいいっしゃにて比類ひるいなき 主のなされたる御業おみわざ
如何なる時も どの場でも 差別さべつ意識いしきさらに(少しも)なく
非の打ちどころ なき御方おかた
9-22
tathâpy ekânta-bhakteshu
pas'ya bhûpânukampitam
yan me 'sûms tyajatah sâkshât
krishno dars'anam âgatah
にも拘わらず ああ王よ 憐れみ深き至上主の
るがぬバクティ捧げたる 帰依者への愛ごろうじろ!
われ 今まさに他の界に 去らんとしたるその時に
聖クリシュナが眼前がんぜんに 人の姿でられたり
9-23
bhaktyâves'ya mano yasmin
vâcâ yan-nâma kîrtayan
tyajan kalevaram yogî
mucyate kâma-karmabhih
熱きバクティ主に捧げ 聖なる御名みなを唱えつつ
肉の身捨てるヨーギーは
行為の(結果)のぞかれて しんの解放あたえらる
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9-24
sa deva-devo bhagavân pratîkshatâm
kalevaram yâvad idam hinomy aham
prasanna-hâsâruna-locanollasan-
mukhâmbujo dhyâna-pathas' catur-bhujah
われが瞑想せしときに つねにまみゆる至上主の
蓮華のごときかんばせ
太陽のごと輝きて やさしき笑みを浮かべらる
四本しほんの腕を持たれたる 最高の神クリシュナよ
われがこの身を捨てるまで なにとぞ見守りたまえかし>」
9-25
sûta uvâca
yudhishthhiras tad âkarnya
s'ayânam s'ara-pan'jare
apricchad vividhân dharmân
rishînâm cânus'rinvatâm
≪聖仙スータ語られる≫
それらを聞きし大王は 矢で作られし鳥籠とりかご
さまにも似たる矢衾やぶすまに 横たわりたるビーシュマに
多種多様なる法則や 義務やおきてたずねたり
居並いならぶ聖仙 聖者らも 耳を澄ませて聞き入りぬ
9-26
purusha-sva-bhâva-vihitân
yathâ-varnam yathâs'ramam
vairâgya-râgopâdhibhyâm
âmnâtobhaya-lakshanân
その人の持つ性向せいこうで 与えられたるカースト(階級)
アーシュラマなる四住期(人生の段階)
規定されたるダルマとは?
離欲を成就じょうじゅせし者と 世俗の欲にとらわれる
これら両者のダルマは?と
死の時を待つビーシュマに ユディシュティラが問い掛くと
真理究しんりきわめしビーシュマは 理路整然りろせいぜんかす
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9-27
dâna-dharmân râja-dharmân
moksha-dharmân vibhâgas'ah
strî-dharmân bhagavad-dharmân
samâsa-vyâsa-yogatah
布施ふせに関するダルマとは 王家おうけとしてのダルマとは
解脱げだつをめざす行為とは 女性のダルマそしてまた
帰依する者のダルマとは さいわたりてりて
はたまた大所高所たいしょこうしょより 説いて聞かせる理智りちの人
9-28
dharmârtha-kâma-mokshâms' ca
sahopâyân yathâ mune
nânâkhyânetihâseshu
varnayâm âsa tattvavit
おおシャウナカよ
真理にさときビーシュマは 世俗に生きる目的の
ダルマ(宗教的功徳)にアルタ(この世の富)
カーマ(感官の楽しみ)とは
やがてモークシャ(解脱)に至るには 斯くなる手立てだてありしぞと
多様たよう古譚こたん いて 正しきせつきしなり
9-29
dharmam pravadatas tasya
sa kâlah pratyupasthitah
yo yoginas' chanda-mrityor
vân'chitas tûttarâyanah
斯くの如くにビーシュマが ダルマにつきてべし
待ち望みたる死の時が ついに到来とうらいしたるなり
肉体を脱ぐその時を 思うがままに決められる
ヨーギーたちが渇望かつぼう
天に輝く太陽が 北に進路を変えるとき(マカラ サンクラーンティ)
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-30
tadopasamhritya girah sahasranîr
vimukta-sangam mana âdi-pûrushe
krishne lasat-pîta-pathe catur-bhuje
purah sthite 'mîlita-drig vyadhârayat
千にあまれる戦士らを ひきいし勇者ゆうじゃビーシュマは
ここで言葉をざしたり
黄色のころもまとわれて 四本しほんの腕を持たれたる
原初げんしょのプルシャ クリシュナを
すべての執着しゅうちゃく解き放ち 心一途こころいちずらしたり
9-31
vis'uddhayâ dhâranayâ hatâs'ubhas
tad-îkshayaivâs'u gatâ-yudha-s'ramah
nivritta-sarvendriya-vritti-vibhramas
tushthâva janyam visrijan' janârdanam
主を想いたるこうにより 罪の残滓ざんしは消え失せて
戦闘による消耗しょうもうは 主の一瞥いちべついやされり
肉の身を脱ぐその時が 到来とうらいしたるビーシュマは
そとに向かいし感官かんかんの 活動すべて停止させ
ただひたすらにクリシュナの 栄光のわざ たたえたり
9-32

s'rî-bhîshma uvâca
iti matir upakalpitâ vitrishnâ
bhagavati sâtvata-pungave vibhûmni
sva-sukham upagate kvacid vihartum
prakritim upeyushi yad-bhava-pravâhah
聖ビーシュマは申されり
「すべての欲は消えうせて 死の時 待つに相応ふさわしき
心はすでにととのいぬ この喜びを許されし
みずからの持つマーヤーで ヤドゥの誇るおさとして
降誕こうたんされし至上主よ 清らになりし我が心
何卒なにとぞ享受きょうじゅくだされ>と 伏して懇願奉こんがんたてまつ
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-33
tri-bhuvana-kamanam tamâla-varnam
ravi-kara-gaura-vara-ambaram dadhâne
vapur alaka-kulâvritânanâbjam
vijaya-sakhe ratir astu me 'navadyâ
三界さんがいに住む者たちを せてまどわす美しき
聖クリシュナの御肌おんはだは タマーラのごと黒き肌
黄色の衣まとわれて 太陽のごと輝きし
蓮華のごときかんばせは 黒き縁取ふちどらる
<アルジュナの友クリシュナよ 二人のラサ(縁)の信愛は
申し分なききずななり
吾の捧げるバクティも 斯くあれかし>と祈るなり
9-34
yudhi turaga-rajo-vidhûmra-vishvak-
kaca-lulita-s'ramavâry-alankritâsye
mama nis'ita-s'arair vibhidyamâna-
tvaci vilasat-kavace 'stu krishna âtmâ
馬のひずめが巻き上げる ほこりによりて灰色に
変色したる主の髪は
飛び散る汗に飾られし 主のかんばせに揺れ動き
吾の鋭き矢によりて 主の御肌おんはだは切りかる
甲冑かっちゅうける者(クシャトリヤ)ならば 斯くあるべし>とたんじたり
ああ至高の主 クリシュナを 吾は賛仰さんごうたてまつる
9-35
sapadi sakhi-vaco nis'amya madhye
nija-parayor balayo ratham nives'ya
sthitavati para-sainikâyur akshnâ
hritavati pârtha-sakhe ratir mamâstu
(アルジュナ)の言葉を聞き入れて 敵と味方が対峙たいじする
戦いの場の真ん中に 主は二輪車を進めらる
そこに立たれしクリシュナは ただ一瞥いちべつ敵方てきがた
死の烙印らくいんを押されたり アルジュナの友 クリシュナよ
深き慈愛にもとづきし この恩寵おんちょうたたうなり
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-36
vyavahita-pritanâ-mukham nirîkshya
sva-jana-vadhâd vimukhasya dosa-buddhyâ
kumatim aharad âtma-vidyayâ yas'
carana-ratih paramasya tasya me 'stu
遠く離れし戦陣せんじんに 居並いならぶ者の顔を見て
身内(バラタの末裔)どうしの相剋そうこくに 骨肉こつにくじょう耐えがたく
嫌悪けんおおぼえしアルジュナは 戦う事を躊躇ためらいぬ
主は謬見びゅうけん1.を取り除き 究極きゅうきょくの智(ギーター)を授けらる
<主の無上なるご慈愛で 無知を啓蒙けいもうされしごと
バクティ捧ぐが為に 斯くあれかし>と祈るなり
1. 謬見… 間違った意見、誤った考え。
9-37
sva-nigamam apahâya mat-pratijn'âm
ritam adhikartum avapluto rathasthah
dhrita-ratha-carano 'bhyayâc caladgur
harir iva hantum ibham gatottarîyah
主は『このらんの場にきて 武器は取らぬ』と申されり
は〈その言葉破らせて 取らせてみせる〉と豪語ごうごせり
主はたちまちに戦車より 飛び降りたまいその御手みて
戦車の車輪(武器では無い)持ち上ぐと 地をるがせて勇猛ゆうもう
ライオンが象 おそうごと 吾に突進とっしんなされたり
身にまとわれし黄衣きごろもが げしことにも気付かずに
9-38
s'ita-vis'ikha-hato vis'îrna-dams'ah
kshataja-paripluta âtatâyino me
prasabham abhisasâra mad-vadhârtham
sa bhavatu me bhagavân gatir mukundah
罪科つみとが深き吾が射る 矢で甲冑かっちゅうが飛び散りて
傷つけられし素肌すはだから 血潮ちしおしたたり落ちるなり
なれど御主おんしゅ敢然かんぜんと 吾に戦いいどまれる
その勇壮ゆうそうなクリシュナは わが究極きゅうきょく避難場所ひなんばしょ
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-39
vijaya-ratha-kuthumbha âtta-totre
dhrita-haya-ras'mini tac-chriyekshanîye
bhagavati ratir astu me mumûrshor
yam iha nirîkshya hatâ gatâh sva-rûpam
友アルジュナの馭者ぎょしゃとして 右手めてむちをば持ち給い
左手ゆんで手綱たづなあやつらる 主の華麗かれいなる御姿みすがた
今際いまわきわ1.に見し者は 本来の地(約束された界)に到達す
<死にのぞみたる吾もまた 斯くありたや>と祈るなり
1. 今際の際… 臨終の時。死にぎわ。
9-40
lalita-gati-vilâsa-valguhâsa-
pranaya-nirîkshana-kalpitorumânâh
krita-manu-krita-vatya unmadândhâh
prakritim agan kila yasya gopa-vadhvah
ヴリンダーヴァナの牧女ぼくじょ(ゴーピー)らは
魅力にみちし主の行為
甘美な笑みや眼差まなざしに うっとりとして陶酔とうすい
主のされたるその仕草しぐさ されしごとく見倣みならいて
根原の主に到達す
9-41
muni-gana-nripa-varya-sankule 'ntah-
sadasi yudhishthhira-râjasûya eshâm
arhanam upapeda îkshanîyo
mama dris'i-gocara esha âvir âtmâ
ユディシュティラ大王の ラージャスーヤ(帝王即位式)もよおされ
聖者せいじゃ 王侯おうこう 眷属けんぞくの すぐれし者らつどいたる 集会場のただ中で
主は真っ先に尊敬の 栄誉えいよの礼を受けられり
そのほまれある至上主が 今 眼前がんぜんに輝かる
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-42
tam imam aham ajam s'arîra-bhâjâm
hridi hridi dhishthhitam âtma-kalpitânâm
pratidris'am iva naikadhârkam ekam
samadhi-gato 'smi vidhûta-bheda-mohah
が眼前の至上主は 不生不滅ふしょうふめつ唯一者ゆいいっしゃ
七色なないろに見ゆの光 もとは太陽 唯一ただひと
個々の人らの胸奥に それぞれに座すアートマは
唯一者なる根原主
われ 迷妄めいもうを取り除き この至上主の御前おんまえ
ぬかづくさちたるなり」
9-43
sûta uvâca
krishna evam bhagavati
mano-vâg-drishthi-vrittibhih
âtmany âtmânam âves'ya
so 'ntahs'vâsa upâramat
≪聖仙スータ語られる≫
斯くてビーシュマ端然たんぜんと 心 言葉とと行為
己がジーヴァ(魂 個我)に溶け込ませ
最後の息を一つして 肉の身体からだを抜け出され
バガヴァーンなるクリシュナに 永久とわ融合ゆうごうなされたり
9-44
sampadyamânam âjn'âya
bhîshmam brahmani nishkale
sarve babhûvus te tûshnîm
vayâmsîva dinâtyaye
不可視ふかし光輝こうきブラフマン 唯一者なる至上主へ
肉体脱ぎしビーシュマが 吸収されしその刹那せつな
日暮れに鳥が一斉いっせいに 鳴き止むごとき静寂せいじゃく
あたり一面 支配せり
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-45
tatra dundubhayo nedur
deva-mânava-vâditâh
s'as'amsuh sâdhavo râjn'âm
khât petuh pushpa-vrishthayah
そのとき神や天人が 太鼓たいこ ティンパニ打ち鳴らし
有徳の王や王子らが 賞賛の声 張り上げり
天上からは祝福の 天花はな はなやかにふりそそぐ
9-46
tasya nirharanâdîni
samparetasya bhârgava
yudhishthhirah kârayitvâ
muhûrtam duhkhito 'bhavat
ブリグの末裔まつえいシャウナカよ
神に召されしビーシュマの 野辺のべの送りを厳粛げんしゅく
り行いしそののちに ユディシュティラ大王は
しばしのあいだ悲しみに 胸ひしがれて涙せり
9-47
tushthuvur munayo hrishtâh
krishnam tad-guhya-nâmabhih
tatas te krishna-hridayâh
svâs'ramân prayayuh punah
聖仙たちは喜びに 心満たされクリシュナの
深遠しんえんにして神秘しんぴなる 御名みなとなえて讃美さんびせり
胸奥に座す至上主を ただひたすらに愛慕して
聖仙たちはそれぞれの 住居すまいに向けて出発たれたり
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一巻 九章 ビーシュマの帰融きゆう
9-48
tato yudhishthhiro gatvâ
saha-krishno gajâhvayam
pitaram sântvayâm âsa
gândhârîm ca tapasvinîm
ユディシュティラ大王は 聖クリシュナのともをして
ハスティナープラ帝都へと 帰着なされしそののちに
盲目もうもくの伯父 国王(ドリタラーシュトラ前国王)
苦行くぎょうはげむガーンダーリー(伯母、ドリタラーシュトラの妻)
二人の悲嘆ひたんなぐさめて 優しき言葉かけられり
9-49
pitrâ cânumato râjâ
vâsudevânumoditah
cakâra râjyam dharmena
pitri-paitâmaham vibhuh
伯父(前国王)承諾しょうだくしのちに 聖クリシュナの許し得て
ユディシュティラ大王は
父祖ふそ伝来でんらいの王国を ダルマにそくし統治さる
第九章 終了
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