三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる


第三十章【プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる】

vidura uvâca
ye tvayâbhihitâ brahman
sutâh prâcînabarhisah
te rudra-gîtena harim
siddhim âpuh pratosya kâm
30-1





ヴィドゥラは斯く述べしなり
「おお聖仙よ 御説きあれ プラーチーナバリ王仙の
すぐれし息子 プラチェータス 邂逅かいこうしたるシヴァ神に
主への賛歌を教えられ それをえいじて至高主を
満足させし功徳くどくにて 如何なる果報 得たりしや





kim bârhaspatyeha paratra vâtha
kaivalya-nâtha-priya-pârsva-vartinah
âsâdya devam girisam yadrcchayâ
prâpuh param nûnam atha pracetasah
30-2




カイラーサにて住みたもう 聖なるシヴァの御慈悲にて
主の御心みこころに叶いたる プラチェータスの兄弟は
如何なる界で 如何様いかように 解脱を遂げて至上主の
そば近くに登りしや おお聖仙よ 説きたまえ」





maitreya uvâca
pracetaso 'ntar udadhau
pitur âdesa-kârinah
japa-yajnena tapasâ
puranjanam atosayan
30-3





マイトレーヤは述べられり
「彼等の父の指示により プラチェータスは大湖りて
与えられたる主の賛歌 低き声にて斉唱せいしょう
厳しき苦行 続けたり 斯かる至誠が至上主の
琴線きんせんに触れ 喜ばれ 深く満足 なされたり





451

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる

  

dasa-varsa-sahasrânte
purusas tu sanâtanah
tesâm âvirabhût krcchram
sântena samayan rucâ
30-4




何時いつしか時が流れゆき 一万年が経ちし頃
永久とわに不滅の至高主が 過酷な苦行 続けたる
プラチェータスの眼前がんぜんに 突如姿を顕さる
その素晴らしき光輝にて 彼等を満たし喜ばせ
苦行の疲れ 癒されり






suparna-skandham ârûdho
meru-srngam ivâmbudah
pîta-vâsâ mani-grîvah
kurvan vitimirâ disah
30-5




ガルダの肩にする主は 聖なる山(神々の住むメール山)の頂上に
たなびく雲のごとくなる 黄色きころも まとわれて
首に飾らる宝石(カウストゥバや真珠)は すべての界を輝やかす






kâsisnunâ kanaka-varna-vibhûsanena
bhrâjat-kapola-vadano vilasat-kirîtah
astâyudhair anucarair munibhih surendrair
âsevito garuda-kinnara-gîta-kîrtih
30-6




光り輝く金色こんじきの 装飾により 照り映えて
しゅかんばせも輝けり 頬や口許 きらめきて
まばゆく光る王冠や 八つの武器や道具類
従者 随員ずいいん 数知れず 偉大な聖者 聖賢せいけん
心をこめてお仕えし 主の乗り物のガルダさえ
キンナラのごと主の賛歌 翼をりて 謳いたり







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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



pînâyatâsta-bhuja-mandala-madhya-laksmyâ
spardhac-chriyâ parivrto vana-mâlayâdyah
barhismatah purusa âha sutân prapannân
parjanya-nâda-rutayâ saghrnâvalokah
30-7




長くたくまし八本の 腕を持たれる主の胸に
ラクシュミー様に比類する ヴァナマーラーを飾られし
クリシュナ神はいとに プラーチーナバリ王仙の
息子等 なべて一瞥いちべつし 雷鳴のごと 鳴り渡る
厳粛げんしゅくな声 発せらる






srî-bhagavân uvâca
varam vrnîdhvam bhadram vo
yûyam me nrpa-nandanâh
sauhârdenâprthag-dharmâs
tusto 'ham sauhrdena vah
30-8





聖バガヴァーン のたまわく
『おお王仙の息子等よ あれに恩寵 望むべし
御身等おみらは人が為し難き 厳しき苦行 誓言せいごん
その戒律を遵守して あれの愛情 ち得たり
満足したるそのあかし 求むるものを与えなん







yo 'nusmarati sandhyâyâm
yusmân anudinam narah
tasya bhrâtrsv âtma-sâmyam
tathâ bhûtesu sauhrdam
30-9




人が毎日夕暮れに 御身等のことを 思うなば
わが兄弟や被造物 全ての物を平等に
おのれ自身を愛すごと 溢れる愛で包むらん








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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



ye tu mâm rudra-gîtena
sâyam prâtah samâhitâh
stuvanty aham kâma-varân
dâsye prajnâm ca sobhanâm
30-10




心をいつに専注し シヴァ神により教えらる
あれへの賛歌 心込め 朝な夕なに謳うなば
望みしものを皆叶え 卓越したる識別と
智能を与え 応ずなり




yad yûyam pitur âdesam
agrahîsta mudânvitâh
atho va usatî kîrtir
lokân anu bhavisyati
30-11




御身等おみらは父の命令を に忠実に実行し
あれは大いに満たされり 故に御身等の栄光は
宇内うだい あまねく浸透し それら全てを凌駕りょうがせん





bhavitâ visrutah putro
'navamo brahmano gunaih
ya etâm âtma-vîryena
tri-lokîm pûrayisyati
30-12




やがて御身等に有名な 嗣子ししが誕生いたすなり
ブラフマー神にも劣らなき 資質もちたるその息子
その子孫にて全宇宙 ずめ尽くして満たすらん





kandoh pramlocayâ labdhâ
kanyâ kamala-locanâ
tâm câpaviddhâm jagrhur
bhûruhâ nrpa-nandanâh
30-13




カンドゥ仙とその妻の プラムローチャーの間から
蓮華の如きまなこもつ 美しきが生まれたり
しかれど母に見捨てられ 木の精霊に育てらる



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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



ksut-ksâmâyâ mukhe râjâ
somah pîyûsa-varsinîm
desinîm rodamânâyâ
nidadhe sa dayânvitah
30-14




ハーブの主なるソーマ神 母乳求めて泣く稚児ちご(乳児)
人差し指にアムリタを ひたしてそれを口に入れ
吸わせて嬰児えいじ 育てらる







prajâ-visarga âdistâh
pitrâ mâm anuvartatâ
tatra kanyâm varârohâm
tâm udvahata mâ ciram
30-15




に献身し忠実な 御身等の父の王仙に
<子供を産みて殖やせよ>と 命じられしに相違なし
故に御身等は早急に 美しき腰 張りし胸
この素晴らしき早乙女さおとめと 長き時間を費やさず
“結婚せよ”と 推薦す







aprthag-dharma-sîlânâm
sarvesâm vah sumadhyamâ
aprthag-dharma-sîleyam
bhûyât patny arpitâsayâ
30-16




美しき腰 その姿態 気質 人柄 振る舞いの
すべてが御身等おみら全員に 等しく受容されるべし
彼女も御身等全員に 等しく献身奉仕して
その誓言をよく解し 等しき誓い 立てるらん








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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



divya-va rsa-sahasrânâm
sahasram ahataujasah
bhaumân bhoksyatha bhogân vai
divyâms cânugrahân mama
30-17




天の区分で千年の 長き年月 過ぎようが
あれが与えし恩寵で 御身等の力衰えず
地上の幸や天界の 種々の悦楽 享受せん







atha mayy anapâyinyâ
bhaktyâ pakva-gunâsayâh
upayâsyatha mad-dhâma
nirvidya nirayâd atah
30-18




斯くの如くに天と地に 御身等の力 浸透し
あれへの奉仕(主の栄光を遍く広布する)為し得れば
僅かに残る物質の 穢れもあれの祝福で
全て消滅したるなば 地獄のごとき俗世から
常世とこよさとに至るらん







grhesv âvisatâm câpi
pumsâm kusala-karmanâm
mad-vârtâ-yâta-yâmânâm
na bandhâya grhâ matâh
30-19




家庭生活続けても その日常をに捧げ
えきすることにたずさわり あれの話題に費やせば
家族のための束縛や 憂慮はすべて消えてゆく










456

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



navyavad dhrdaye yaj jno
brahmaitad brahma-vâdibhih
na muhyanti na socanti
na hrsyanti yato gatâh
30-20




何故かとならばこのあれを 常に心に置く者の
胸裏(フリダヤ)住処すみかもつゆえに 常に全てを理解して
事の次第を先導す ヴェーダ教義の信奉者(解脱者)
彼等に苦悩 悲しみが 無きと等しく の帰依者
喜怒哀楽を超越し やがて常世に至らん』と」






maitreya uvâca
evam bruvânam purusârtha-bhâjanam
janârdanam prânjalayah pracetasah
tad-darsana-dhvasta-tamo-rajo-malâ
girâgrnan gadgadayâ suhrttamam
30-21






マイトレーヤは述べられり
「斯くの如くに御主から 人世の目途 生き方や
その不利益や損失を 滅する方途 教えられ
主にまみえたる功徳にて 無知(タマス)や激情(ラジャス) 消え失せん
プラチェータスの兄弟は おもわず両手合わせると
口ごもりつつ称賛し 偉大な御主おんしゅ 拝したり







pracetasa ûcuh
namo namah klesa-vinâsanâya
nirûpitodâra-gunâhvayâya
mano-vaco-vega-puro javâya
sarvâksa-mârgair agatâdhvane namah
30-22















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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる

  


プラチェータスは 言いしなり
〈おお偉大なる至上主よ 帰命頂礼奉きみょうちょうらいたてまつ
御名みなとなえて徳を積む 帰依者の苦痛 迅速に
消失させる御方おんかたよ 寛大にして 威厳あり
人の心や言葉 聞き すぐに御手おんてを差し延べて
救い賜る御方よ 感覚を追う道を行く
危険を知らぬ者達に まことの道を指し示す
御主みすに重ねて頂礼ちょうらい






suddhâya sântâya namah sva-nisthayâ
manasy apârtham vilasad-dvayâya
namo jagat-sthâna-layodayesu
grhîta-mâyâ-guna-vigrahâya
30-23




至純の極み 唯一者ゆいいっしゃ 寂静に在る御方おんかた
心底しんてい深く尊崇そんすうし 帰命頂礼奉る
宇宙創造 そを維持し やがて破壊し 夜をすごし(静態)
時 来りなば再びの 宇宙創造なさるなり
〔時〕と〔マーヤー〕用いられ その循環じゅんかんの多様性
なれどもそれを 意図さるは ただ 御一人ごいちにん 源主のみ
斯かるもといの至上主に 重ねて礼を奉る






namo visuddha-sattvâya
haraye hari-medhase
vâsudevâya krsnâya
prabhave sarva-sâtvatâm
30-24




帰依する者の困窮を 知と力にて取り除く
清き純なる根源主 ヴァースデーヴァ クリシュナに
吾等兄弟 一様いちように 帰命頂礼奉る






458

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



namah kamala-nâbhâya
namah kamala-mâline
namah kamala-pâdâya
namas te kamaleksana
30-25




ほぞに蓮華が咲く方に 帰命頂礼奉る
蓮華の花輪はなわ 飾る主に 帰命頂礼奉る
蓮華の御足みあし持つ方に 帰命頂礼奉る
蓮華のまなこ持つ御主みすに 帰命頂礼奉る







namah kamala-kinjalka-
pisangâmala-vâsase
sarva-bhûta-nivâsâya
namo 'yunksmahi sâksine
30-26




蓮華の花芯かしん サフランの 黄色に似たるころも着し
御主みすは心の避難場所 そして全ての照覧者
かる偉大な至高主に 帰命頂礼奉る








rûpam bhagavatâ tv etad
asesa-klesa-sanksayam
âviskrtam nah klistânâm
kim anyad anukampitam
30-27




世俗における苦しみに 悩む者等を憐れみて
主の御力でその辛苦 除き賜いし御慈愛は
他の何物に等しきや 更にこの上恩寵を
クリシュナ神に請うるなど 在ろうはず無き ことなりき









459

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



etâvat tvam hi vibhubhir
bhâvyam dînesu vatsalaih
yad anusmaryate kâle
sva-buddhyâbhadra-randhana
30-28




斯くの如くに御身様おみさまは 広大無辺 無限にて
いたるところに遍在し すべて照覧なさる方
弱く哀れな者達の 大樹たいじゅの如き拠りどころ
時が来たれば御身様は 帰依する者を救いだし
のぞみし幸を賜うらん おお!御主こそ その全て
知られる方に相違なし







yenopasantir bhûtânâm
ksullakânâm apîhatâm
antarhito 'ntar-hrdaye
kasmân no veda nâsisah
30-29




すべての欲望 終息し 寂静の境 知り得たと
吾等が知覚したとても 胸奥にあるフリダヤに
ほんのわずかに残されし 小さな欲も そしてまた
内部にひそむ願望も 御主おんしゅは全て知らるなり







asâv eva varo 'smâkam
îpsito jagatah pate
prasanno bhagavân yesâm
apavarga-gurur gatih
30-30




おお至上主よ 斯くのごと 全てを知らる御身様は
吾等全ての者達が 解脱をるを望まれん
故に吾等はグルにして 最高主なる御身様の
御満足ることのみが この人生の最終の
目的にしてのぞみなり





460

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



varam vrnîmahe 'thâpi
nâtha tvat paratah parât
na hy antas tvad-vibhûtînâm
so 'nanta iti gîyase
30-31




おおそれ故に吾々は 普遍 無終の根源主
クリシュナ神の御慈愛を 唯ひたすらに請うるなり
すべてを超える御方おんかたよ 讃えて詠歌 斉唱せいしょう








pârijâte 'njasâ labdhe
sârango 'nyan na sevate
tvad-anghri-mûlam âsâdya
sâksât kim kim vrnîmahi
30-32




パーリジャータの花の香に 魅惑されたる蜜蜂が
他の花々の 蜜得んと 思う心を持たぬごと
御主みすの蓮華の御足おみあしに 拠り処を得たる 帰依者等が
ほかには何を 求むるや







yâvat te mâyayâ sprstâ
bhramâma iha karmabhih
tâvad bhavat-prasangânâm
sangah syân no bhave bhave
30-33




物質の世の只中ただなかで 主のマーヤーの支配享け
影響されし吾々は 行為の(三界)流離さすらいぬ
おお至上主よ 斯かる時 御身を慕う帰依者との
えにしを結び賜れと 伏して懇願奉る









461

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



tulayâma lavenâpi
na svargam nâpunar-bhavam
bhagavat-sangi-sangasya
martyânâm kim utâsisah
30-34




クリシュナ神を尊崇そんすうし 主に専注す 赤心の
帰依する人と触れ合いて 御主みすの蓮華の御足おみあし
塵の一片ひとひら 戴けば たとえ解脱が得られずも
天に到達できずとも 死ぬる運命さだめの者等(被造物・人間)には
おお!望外ぼうがいの喜悦にて そを恩寵と享受せん






yatredyante kathâ mrstâs
trsnâyâh prasamo yatah
nirvairam yatra bhûtesu
nodvego yatra kascana
30-35




その方々の語らいは 常に御主のことばかり
聞き洩らさじと ひと言も おろそかにせず聴き入れば
その純潔な言霊ことだまに いつしか浄化 純化され
妬み 高慢 強欲や 恐怖 悲哀が消えゆかん







yatra nârâyanah sâksâd
bhagavân nyâsinâm gatih
samstûyate sat-kathâsu
mukta-sangaih punah punah
30-36




クリシュナ神を崇拝し 幾度も賛歌 朗誦し
世俗の欲を厭離えんりした 御主おんしゅを慕う帰依者等が
わが人生の最終の その目的を語らえば
ナーラーヤナの御姿みすがたで 御主みすは顕現 あそばさる








462

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



tesâm vicaratâm padbhyâm
tîrthânâm pâvanecchayâ
bhîtasya kim na roceta
tâvakânâm samâgamah
30-37




主の帰依者等は 聖地でも 彼等の足で浄化さる
〔輪廻〕恐れる者たちが その帰依者等と<親密に
成らん>と欲し 願うのは 至極自然のことなりき






vayam tu sâksâd bhagavan bhavasya
priyasya sakhyuh ksana-sangamena
suduscikitsyasya bhavasya mrtyor
bhisaktamam tvâdya gatim gatâh sma
30-38




おお至上主よ吾々は 主の盟友のシヴァ神と
しばしの交流 与えられ 主への賛美を教えらる
おお拠り処なる至上主よ その功徳にて吾々の
“死と誕生を繰り返す 輪廻の鎖 断ち切れぬ”
このおぞましき業病ごうびょうの 快癒かいゆの時を迎えたり







yan nah svadhîtam guravah prasâditâ
viprâs ca vrddhâs ca sad-ânuvrttyâ
âryâ natâh suhrdo bhrâtaras ca
sarvâni bhûtâny anasûyayaiva

yan nah sutaptam tapa etad îsa
nirandhasâm kâlam adabhram apsu
sarvam tad etat purusasya bhûmno
vrnîmahe te paritosanâya
30-39・40











吾々たちが学びたる 優れし聖書 そしてまた
伝授されたる教師たち ブラーフマナや年長者
その方々に献身し 奉仕 報謝を怠らず
有徳者 賢者 聖人へ 尊敬持ちて対応し
家族や縁者 兄弟や 友人そして生物と
愛情深く交流す かかる吾等の全行為




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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる




食事も摂らず飢えし身で 水も飲まずに長き時(1万年)
湖水にひたり立ち続く これらの苦行 そのすべて
不変不朽ふへんふきゅうの最高者 クリシュナ神の御満足
なんがための ことなりき






manuh svayambhûr bhagavân bhavas ca
ye 'nye tapo jnâna-visuddha-sattvâh
adrsta-pârâ api yan-mahimnah
stuvanty atho tvâtma-samam grnîmah
30-41




スヴァーヤンブヴァ マヌそして
ブラフマー神 シヴァ神や
他の神仙や王仙等 禁欲行為 叡智にて
浄化されたる方々が 究極にある目的地
常世の郷にしたもう 御主おんしゅ 讃えて拝される
故に吾等も根源の 主を賛美して謳うなり






namah samâya suddhâya
purusâya parâya ca
vâsudevâya sattvâya
tubhyam bhagavate namah
30-42




平等観に立脚す 至純の極み 最高主
卓越したる存在の ヴァースデーヴァ クリシュナに
吾等兄弟共々に 帰命頂礼奉る〉」







maitreya uvâca
iti pracetobhir abhistuto harih
prîtas tathety âha saranya-vatsalah
anicchatâm yânam atrpta-caksusâm
yayau sva-dhâmânapavarga-vîryah
30-43








464

三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる




マイトレーヤは述べられり
「プラチェータスに斯くのごと 賛美されたる至上主は
あれに援助を求めたる 個我に必ずむくいる』と
言葉を残し 満足の 意を示されて至上主は
名残なごりしむ兄弟の 熱き眼差まなざし受けながら
永久とわさとへと帰られり




atha niryâya salilât
pracetasa udanvatah
vîksyâkupyan drumais channam
gâm gâm roddhum ivocchritaih
30-44




しこうしてのち兄弟が 大湖だいこでて 世を見ると
木々が大きく成長し 地上 天界 そのすべて
おおい隠して蔓延はびこれり その様を知り兄弟は
大いに激怒 したるなり





tato 'gni-mârutau râjann
amuncan mukhato rusâ
mahîm nirvîrudham kartum
samvartaka ivâtyaye
30-45




怒りに燃えし兄弟は 地上の木々を滅せんと
五大元素のふうを おの身体たいから取り出すと
宇宙破壊の火のごとく 口からそれを噴出す





bhasmasât kriyamânâms tân
drumân vîksya pitâmahah
âgatah samayâm âsa
putrân barhismato nayaih
30-46




すべての樹々が燃え尽きて 灰にならんとするを見て
ブラフマー神がられたり そして彼等をなだめると
世俗に生きる知を授け 樹の滅亡を救われり



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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



tatrâvasistâ ye vrksâ
bhîtâ duhitaram tadâ
ujjahrus te pracetobhya
upadistâh svayambhuvâ
30-47




樹は絶滅をまぬがると ブラフマー神の意のままに
プラチェータスにが娘 恐れながら…と 差し出せり







te ca brahmana âdesân
mârisâm upayemire
yasyâm mahad-avajnânâd
ajany ajana-yonijah
30-48




ブラフマー神の示唆しさにより プラチェータスは 樹々の
マーリシャーと結婚す 而して男児 産まれしが
その男子おのここそ かの昔 宇宙を統べるシヴァ神に
恥辱ちじょくを与え おとしめし 地獄に堕ちしダクシャなり








câksuse tv antare prâpte
prâk-sarge kâla-vidrute
yah sasarja prajâ istâh
sa dakso daiva-coditah
30-49




時が流れてチャークシュシャ 六番目なるマヌの期に
最高神の命により ダクシャは多々の 造物を
生みて世界を 満たしたり












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三十章 プラチェータスに俗世で生きる知が授けらる



yo jâyamânah sarvesâm
tejas tejasvinâm rucâ
svayopâdatta dâksyâc ca
karmanâm daksam abruvan

tam prajâ-sarga-raksâyâm
anâdir abhisicya ca
yuyoja yuyuje 'nyâms ca
sa vai sarva-prajâpatîn
30-50・51











この世に誕生したる時 その美しき光輝見て
人々すべて驚愕きょうがくす その明眸めいぼうは輝きて
才気溢れるその仕草 高き品位は際立きわだちて
故にみ居る人々は ダクシャ(徳ある者)と言いて褒めそやす

ブラフマー神はこの彼を プラジャーパティのおさと為し
世に被造物 栄えさせ 豊かな国を創造つくらせり」





第三十章 終了


















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