三章 至幸へ向かう唯一の道
第三章【至幸へ向かう唯一の道】
3-1
s'rî-s'uka uvâca
evam etan nigaditam
prishthavân yad bhavân mama
nrinâm yan mriyamânânâm
manushyeshu manîshinâm
【栄えあるシュカは申されり】
「考え深き者ならば 死に臨みたるその時に
如何なる行為すべきか」と 問いし御身に斯く斯くと
吾は説明いたしたり
3-2・3・4・5・6・7
brahma-varcasa-kâmas tu
yajeta brahmanah patim
indram indriya-kâmas tu
prajâ-kâmah prajâpatîn
聖知の光輝 望む者 ヴェーダ祭官(ブリハスパティ)崇むべし
感官の欲 求むなば インドラ神を崇むべし
多くの子孫 望むなら プラジャーパティ(繁殖を司る神)を祀るべし
devîm mâyâm tu s'rî-kâmas
tejas-kâmo vibhâvasum
vasu-kâmo vasûn rudrân
vîrya-kâmo 'tha vîryavân
幸運望む者ならば マーヤー女神1.崇むべし
活力求む者ならば 火の神をこそ崇むべき
富への願望ある者は ヴァス神群を崇拝し
無敵の強さ誇る者 さらに力を欲すなば
マルト神群(ルドラ神の息子たち)拝すべし
注 |
1. |
マーヤー女神… |
主が持たれる固有の力。プラクリティを支配する女神 |
annâdya-kâmas tv aditim
svarga-kâmo 'diteh sutân
vis'vân devân râjya-kâmah
sâdhyân samsâdhako vis'âm
27
三章 至幸へ向かう唯一の道
食事 食材求むなば アディティ神(神々の母)を拝すべし
スワルガローカ(天界)望むなば
アーディティヤ神群(アディティの息子たち)崇むべし
君主の権利 望むなば ヴィシュワー神群 崇むべし
民の幸福 願うなば サーディヤ神群 拝すべし
âyus-kâmo 's'vinau devau
pushthi-kâma ilâm yajet
pratishthhâ-kâmah purusho
rodasî loka-mâtarau
長寿を望む者ならば アシュヴィン双神(若さを取り戻させる神)崇むべし
身の健康を願う者 大地の女神 祀るべし
安住の地を求むなら 天地の父母ローダシー(ルドラの妻でマルト神群の母)
シヴァなるプルシャ(男性原理)拝すべし
rûpâbhikâmo gandharvân
strî-kâmo 'psara urvas'îm
âdhipatya-kâmah sarveshâm
yajeta parameshthhinam
美麗な姿 望むなば ガンダルヴァを拝すべし
美しき妻 得たいなば ウルヴァシー(天の妖精)を崇むべし
全てのものに対しての 至上の主権 望むなば
創造神のブラフマーを 崇拝せねばならぬなり
yajn'am yajed yas'as-kâmah
kos'a-kâmah pracetasam
vidyâ-kâmas tu giris'am
dâmpatyârtha umâm satîm
名誉名声望むなば 供犠の御主(クリシュナ)を祀るべし
財や宝物 欲すなば ヴァルナの神(水を支配する神)を崇むべし
知識 学問望むなば 山のギリシャ(山の住者シヴァ神)を拝すべし
夫婦の幸を得たきなば 貞淑な妻ウマー(シヴァ神の妻)こそ
崇拝すべき目当て(対象)なり
28
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-8
dharmârtha uttama-s'lokam
tantuh tanvan pitrin yajet
rakshâ-kâmah punya janân
ojas-kâmo marud-ganân
徳と富とを願うなば 至上主をこそ崇むべし
子孫の繁栄願うなば 先祖の霊(ピトリー)を祀るべし
保護や救助を求むなば 有徳の人に縋るべし
権威を強く望むなば マルト神群拝すべし
3-9
râjya-kâmo manûn devân
nirritim tv abhicaran yajet
kâma-kâmo yajet somam
akâmah purusham param
領土主権を望むなば 始祖(人類の始祖マヌ)や神々拝すべし
呪詛の成就を望むなば ニルリティ神(死の女神)祀るべし
五感の快を求む者 ソーマ(月)の神を崇むべし
すべての離欲 願う者 至上主のみを拝すべし
3-10
akâmah sarva-kâmo vâ
moksha-kâma udâra-dhîh
tîvrena bhakti-yogena
yajeta purusham param
すべてに離欲せし者や はたまた解脱望む者
高き英知を持つ者は(当然のことながら)
その強烈な帰依ゆえに 至上主のみを拝すなり
29
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-11
etâvân eva yajatâm
iha nihs'reyasodayah
bhagavaty acalo bhâvo
yad bhâgavata-sangatah
多種多様なる神々を 祀りて拝す者たちも
御主の帰依者と交流し
至高の御主に不動なる 信仰心を持つならば
この世における最高の 神の恩寵授けらる
3-12
jn'ânam yad âpratinivritta-gunormi-cakram
âtma-prasâda uta yatra gunesv asangah
kaivalya-sammata-pathas tv atha bhakti-yogah
ko nirvrito hari-kathâsu ratim na kuryât
シュリークリシュナ神譚の 聴聞で得しジュニャーナ(英知)は
グナの齎す荒波を 鎮め 束縛解き放つ
そしてその時〔帰依〕という 超絶的な路開け 魂の平安与えらる
人は如何でか(どうして)この至幸 退けること出来ようぞ
3-13
s'aunaka uvâca
ity abhivyâhritam râjâ
nis'amya bharatarshabhah
kim anyat prishthavân bhûyo
vaiyâsakim rishim kavim
シャウナカは斯く申したり
「聖仙シュカが語られし これらの言葉 聞きし後
バラタ族での最高者 パリークシット国王は
ヴィヤーサ仙の息子なる 聖仙シュカに更にまた
如何なることを訊ねしや
30
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-14
etac chus'rûsatâm vidvan
sûta no 'rhasi bhâshitum
kathâ hari-kathodarkâh
satâm syuh sadasi dhruvam
学識優るスータ師よ 師の学びたる〔神譚〕を
吾らに語り給われと 切に懇望いたすなり
聖者賢者の集いでは 聖クリシュナの神譚が
常に話題となりぬらん 吾らもそれを望むなり
3-15
sa vai bhâgavato râjâ
pândaveyo mahâ-rathah
bâla-krîdanakaih krîdan
krishna-krîdâm ya âdade
パーンダヴァの子孫なる 偉大な戦士 国王(パリークシット)は
幼年期より玩具にて 遊びながらもクリシュナへ
供物捧げる真似をして 帰依の萌芽(芽生え)を見せしなり
3-16
vaiyâsakis' ca bhagavân
vâsudeva-parâyanah
urugâya-gunodârâh
satâm syur hi samâgame
聖シュカもまたクリシュナに 深き帰依心 持たるなり
かような聖者賢者らが 集いて交わす語らいは
聖クリシュナの御威徳や 優れし栄に他ならじ
3-17
âyur barati vai pumsâm
udyann astam ca yann asau
tasyarte yat-kshano nîta
uttama-s'loka-vârtayâ
聖クリシュナの御事績を 語る機会を持たぬなば
朝 日は上り日は沈み 刻々と〔時〕過ぎ行きて
人の生命は奪われる
31
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-18
taravah kim na jîvanti
bhastrâh kim na s'vasanty uta
na khâdanti na mehanti
kim grâme pas'avo 'pare
ただ樹木の如く成長し ふいごのように呼吸して
食べて排泄するだけの
ただ生きている存在を 〔人〕と呼ぶことできようか?
3-19
s'va-vid-varâhoshthra-kharaih
samstutah purusah pas'uh
na yat-karna-pathopeto
jâtu nâma gadâgrajah
聖なる御主クリシュナは
その聖譚に近づかず 聴こうともせぬ彼の者を
『犬や家豚や水牛や ロバに等しき生き物!』と
決して知者とは見なされず 『卑しき者』と評されり
3-20
bile batorukrama-vikramân ye
na s'rinvatah karna-pute narasya
jihvâsatî dârdurikeva sûta
na copagâyaty urugâya-gâthâh
ああ聖譚を聴かぬ者
人の耳とは見なされず ただ穴として在るのみぞ
而してまたクリシュナの
聖なる讃歌 謳わざる 者たちの持つ口や舌
蛙の(長い)舌と等しかり
32
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-21
bhârah param paththa-kirîtha jushtham
apy uttamângam na namen mukundam
s'âvau karau no kurute saparyâm
harer lasat-kân'cana-kankanau vâ
至上の御主ムクンダ(クリシュナ)に 頭を下げぬ者たちが
たとえ頭頂に王冠や 絹のターバン飾ろうと
そは重き荷となるばかり ハリ(クリシュナ)を崇拝せぬ者が
たとえ両手に輝ける 金の腕輪を飾ろうと
屍の手に等しかり
3-22
barhâyite te nayane narânâm
lingâni vishnor na nirîkshato ye
pâdau nrinâm tau druma janma-bhâjau
kshetrâni nânuvrajato harer yau
主の御姿を象りし 神像を見ぬ者の眼は
孔雀の羽根の文様(目に似た)を 映したままに相違なし
ハリ(クリシュナ)の聖地を訪れぬ 人らの足はただ単に
双樹(根元から二股に分かれている樹)のごときものなりき
3-23
Jîvan' chavo bhâgavatânghri-renum
na jâtu martyo 'bhilabheta yas tu
s'rî-vishnu-padyâ manujas tulasyâh
s'vasan' chavo yas tu na veda gandham
主の奉仕者の足に付着く その塵埃を己が身に
浴びようとせぬ者たちは 生きていようと死人なり
聖クリシュナの御足に 捧げられたるトゥラシィーの
その匂い立つ芳香を 味わおうともせぬ者は
呼吸はすれど死人なり
33
三章 至幸へ向かう唯一の道
3-24
tad as'ma-sâram hridayam batedam
yad grihyamânair hari-nâma-dheyaih
na vikriyetâtha yadâ vikâro
netre jalam gâtra-ruheshu harshah
聖クリシュナに集中し 御名を称名することで
心が変化せぬならば 巌の如き心持つ ああ憐れなる者なりき
若しや心が変わるなば 眼から涙が溢れ出で
体毛は皆逆立ちて 歓喜の極に至るらん
3-25
athâbhidhehy anga mano-'nukûlam
prabhâshase bhâgavata-pradhânah
yad âha vaiyâsakir âtma-vidyâ-
vis'ârado nripatim sâdhu prishthah
尊師(スータ)が語る神譚は 心に適い好ましく
まこと充ち足るものなりき
ゆえに至高の英知識り 主の最高の帰依者なる
ヴィヤーサの息 聖シュカが パリークシットの問いかけに
答えられたるそのすべて 吾らに語りたまえかし」
第三章 終了
34